西郷隆盛生誕の地!近所には偉人がたくさん!


私の住んでいる鹿児島は、
西郷隆盛さんの生まれた土地です。

 

西郷さんの生まれたところも
住んでいるところから、
車で行きやすいところにあります。

場所は、鹿児島市加治屋町。
今は、ちょっとした公園になっているんです。

すぐ近くには、小さいけど
弟・従道の石碑もありますよ。

 

この近くから偉人が何人も出てきていて
西郷さん誕生の地の前にある川沿いは
”偉人ふるさとの道”という名前で
”偉人ふるさと館”など資料館もあります。

 

その名の通り、この近辺からは
偉人がたくさん生まれているので
ご紹介しますね。

 
ざっと、あげますが下の地図のとおり。

こんな狭いところから
こんなに偉人が出てきているって多いですよね。

1人ずつ、簡単に紹介していきますね。

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吉井友実

まずは、西郷さん生誕の地に
一番近いのが、吉井友実誕生地。

吉井友実は、有名ではありませんが
西郷さんと同じ郷中の仲間で
その後の歴史を変えた人物。

 

西郷さんの本名は『隆永』ということは
今では、知られていますが
通称は『吉之助さん』だったんですね。

 
あるとき、西郷さんがいないとき、
西郷さんの名前が必要になりましたが
誰も分かりません。

そのとき吉井さんが、
「たしか、『隆盛』だったような・・・」
と『隆盛』と書いてしまったんです。
 

実は、その名前、西郷さんの
お父さんの名前だったんですが
西郷さんも、「そのままでよか。」とそのままに。

 

みんなが『西郷隆盛』って呼んでるのは
実は、お父さんの名前だったなんて。

初めて知ったときには、びっくりしました。

奈良時代とかの人の名前も残ってるぐらいなのに。。。

 
とはいえ、維新のために尽くし
日本鉄道や官僚として働き、
上野の西郷隆盛像の建設の発起人でもあります。

 

村田新八

西郷さんの8つ年下で、西郷さんの死の淵まで
ずっと一緒だった人物。

で、この方も有名ではないです。。。
すいません。

なにが悪いのかよく分からないけど、すいません。

 
ですが、西郷さんからは
「村田新八は智仁勇の三徳を備えた人物なのだから、みなもよく模範とするように」

と褒められ、大久保利通さんも
かなり期待していて、明治政府では
重要なポストに就かせるつもりでした。

ですが、西郷さん側についたので
かなりのショックを受けたようです。

 
また、勝海舟さんも新八さんの死を聞いたときに
「大久保利通に亜ぐ傑物なり。」

大久保さんの次に素晴らしい人物だった。
と、その死を惜しんだそうです。

 
それだけ素晴らしい人物だったようです。

大河ドラマ『西郷どん』では堀井新太さんが演じるので
こちらも期待しましょう。

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大久保利通

大久保さんの誕生地は、川の反対側ですが
西郷さんと同じ郷中で幼馴染です。

 
明治になり、鎖国していた朝鮮を
武力で開国させるか、どうするか?
という話し合いから、西郷さんとは意見が分かれてしまいます。

西郷さんとは意見の対立をしましたが
村田新八さんも、どちらの意見も正論、
とおっしゃっていた通り、
お互い道は違えど、日本のために働いてきた方です。

 
国のために、私財を投げ打って、
その上借金までしたりしていたぐらいで
『維新の三傑』と言われています。

 

鹿児島は西郷さんを殺した人と思われていて
銅像が建てられたのも、
ずいぶん後になってしまいました。

 

大山巌

同じ郷中で育ち、西郷さんの
15歳年下の従兄弟にもなります。

 
西南戦争では、西郷さんに戦争をやめて
政府側に戻るよう説得しますが
西郷さんは自分たちが死ぬことで新しい時代がくると悟っていて

「お前は、これからの時代で必要だから生きろ!」

と追い返され、結局、政府側の指揮をとり
西郷さんを死に追い込むことになりますが、その後、

「自分は、兄さぁの代わりになろう」

と、西郷さんの再来と言われるほど
器が大きく、とても謙虚な人物だったと言われています。

 
ちなみに、上野の西郷さんの銅像を

 
その人格をあらわす1つのエピソードがあります。

当時、ナポレオンを倒し『世界最強』
と言われていたロシアとの戦争で
陸軍を指揮し、日本を勝利に導いたのです。

その後、大山が亡くなったときには
ロシア大使館も並びましたが、
それとは別に、大山家を訪問し

「全ロシア陸軍を代表して」
と花輪を供えたそうです。

 
敵国だったら、一番悔しい相手のはずです。
それなのに、死を惜しまれるんですよ。

敵だろうと、それはただの立場の違いがあるだけ
という考えがあったからだろうなと思います。

 

東郷平八郎

日露戦争で海軍を指揮し、
バルチック艦隊を破ったことで有名になりました。

先ほどの大山と並び
「陸の大山 海の東郷」
と言われる東郷平八郎。

他にも「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」
と呼ばれ、世界三大提督の1人とも言われる人物。

 
日本で初めて『TIME』誌の表紙も飾ったほど。


 

彼もこの近所に住んでいたんです。

 
もちろん、西郷さんとも絡んでいます。
 

鉄道員になりたくて、海外留学を願い出たところ
大久保利通からダメと言われましたが、
あきらめきれず、西郷さんに頼んだところ、

「陸軍には大山がいるから、おはんは海軍をやれ」

と海軍軍人になるためならいいよ、と許可をもらえたんです。

 

そのため、西南戦争時はイギリスに留学していて
帰国したときには、西郷さんは亡くなっていましたが

「もし私が日本に残っていたら、西郷さんの下にはせ参じていただろう」
と義に厚い人柄が伺えます。

 
ちなみに、鹿児島市にある
西郷隆盛像の発起人でもあります。

 

また、先ほどの大山と同じく
葬儀は国葬で行われ、海外からも
たくさんの軍人が訪れたそうです。

 

安藤照

最後に、安藤照さん。

彼は、忠犬ハチ公と鹿児島市の西郷隆盛像を作った人。

西郷さんと顔見知りではないようですが
意外と近所に住んでいた人が作られたんですね。

ちなみに、鹿児島市の西郷隆盛像は
周りが、ちょっとした庭園風になっているのですが
鹿児島市民34000人で、石を積み上げてた上に建っているそうです。

 

最後に、もう一度地図を載せておきますね。

 
西郷さんが、どれだけの人から
好かれていたのか、わたしの想像を超えていました。

どれだけ器が大きい人物だったのか
大河ドラマ『西郷どん』を見るのが楽しみです(*≧ω≦)



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